初めての合宿・行事・修行

私は契山館に入会して今年で5年目に入りました。今回は、初めて合宿や行事に参加したときや、家での修行を始めたばかりの頃を振り返っていきたいと思います。

初めて参加した合宿は、神伝禊法の初伝合宿でした。参加者の中には禊の実習後に泣いている人がいたり、振魂法で少し変わった動きをしている人がいたりして、明らかに何かが起こっているという感じでした。一方の私はというと、禊の実習は次第を間違えないよう集中していたらあっという間に終わってしまい、振魂法は体を動かすのが楽しかったというだけでした。ただ、合宿会場の雰囲気が良かったのは覚えています。まるで花見でもしているかのようで、自分の席でただぼーっとしているのが心地いいのです。こうして特に大した体験もなく初めての合宿は終わってしまったのですが、まだ初心者なわけだし、これから家でも神伝禊法をつづけて、神伝鎮魂法の合宿にも出たりすればそのうち何か感じるのだろうと思い、あまり気にしていませんでした。

初めて参加した霊的行事は、霊的クリスマスでした。霊媒による霊言というものを聞くのはこれが初めてでした。ここでは詳細を書くことは控えさせていただきますが、厳しいお言葉があったり、優しく励ましていただいたり、霊魂学の新たな視点が与えられたりと、感動や驚きの連続でした。それからも、年に2回ある霊的行事には欠かさず参加しています。終了後は温かい感情で満たされつつも、自分の行動を振り返って覚悟を新たにしています。いまこうしてブログに記事を出しているのも、昨年の霊的クリスマスでのお言葉がきっかけです。

さて、神伝禊法の初伝合宿に参加したあと、家でも修行をする日々が始まりました。幸いにも、神伝禊法の初伝は5分ほどしかかからないので、すぐに習慣化することができました。ただ、修行中に幽体がきれいになっているだとか、幽体の意識が癒されているという実感がありません。変化は幽体に起こるのであって肉体に起こるわけではないので、実感がないのは仕方がないのですが、不安になってきたので水波先生に「霊的状態等の調査」をお願いしました。するとそれなりに効果は出ているようだったので、あまり気にせず続けていくことにしました。

すると、家での修行を始めてから半年ほど経ったころでしょうか。修行の最中、たまに、顔のあたりに弱い電気が流れるような感覚が現れるようになりました。おそらく、そのときに指導霊が高級な気を降ろしてくださっているのだろうと勝手に考えています。それから現在までに、神伝禊法と神伝鎮魂法の次伝合宿まで出ていますが、修行中に現れるその感覚の頻度や感じる部位が徐々に増えてきているように思います。何かの勘違いなのかもしれませんが、少なくともこの修行法は嘘ではないと確信できるようになったので、修行を続けるモチベーションになっています。

契山館で学ぶ霊的修行法「神伝の法」は、超能力を身に付けたり人生を好転させたりするためのものではありません。不道徳な霊魂による干渉を避けるため、過去世の意識が及ぼす悪影響を減らすため、そして、死後に地獄のような世界に入らないようにするためのものです。言い換えれば、不幸にならないための修行法です。幸福になりたい、つまり、何らかの願望を叶えたいというのであれば、神伝の法とは別に、そのための行動を自分で考えて実行していくしかありません。しかし、その「自分で考える」ときに不道徳な霊魂や自身の過去世の影響を受けてしまっては元も子もないので、日常生活のなかで神伝の法を実施することが重要なのです。

私自身のために始めた修行ですが、入会後に公開された水波先生の著作を読んでいるうちに、自分のメリットよりも自分以外に与える影響のほうが気になってきました。神伝の法は、あなたの不幸を未然に防ぎ、あなたを取り巻く霊魂の不幸を終わらせます。神伝の法と水波霊魂学が一人でも多くの方に伝わることを願うばかりです。

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